すぐれた会社の秘密とは


すぐれた会社には宗教があるといいますが、宗教は空気の浄化剤のようなものです。


空気が汚れていれば、住民は健康を害します。


レオンで働いている人たちの表情を見て、とにかく明るいのです。


生き生きして屈託がありません。


空気が澄んでいる証拠です。


さしずめ林虎彦社長は、食文化教の教祖というところでしょう。


東証一部では、「レオン自動機」を機械の部門に置いています。


たしかに機械を販売して収入を得ているから機械メーカーに違いないのですが・・・


食品を開発してそれに必要な道具としての機械を販売しているのだから、食品研究所でもあるわけです。


すべての鉄はさびるもの

自然の法則として、これらの金属は、酸化され、さびる方向に進む運命にあるものです。


そういう傾向にあるものが、ある程度の速度でしか進まないのは、それを妨げる他の要因が同時にあるからなので、その要因がはずれれば、向かうべき方向に急速に進行しても、少しも不思議ではありません。


わたしたちの周囲にある金属は、こういう平衡状態にあります。


進行を妨げる条件は、くふうをすれば、もちろん人工的にもつくることのできるもので、さびの進行を極力抑制しようとするくふうが、各種の防食法です。


これは当然、きわめて「反自然的」作業です。


完全に防ぎうるはずはありません。


しかし、近ごろこのくふうもなかなか進歩して、その成果はいちじるしく挙がっているが、きわめて地味な努力であり、一般の人の目にはつきにくいですね。


ロートアイアンなども同様です。

興味深い取り組み 6

おもしろいことに、こうしたやり方をはじめてから、小学時代の国語の成績はどうかわかりませんが、ほとんどの子が漢字に興味をもち、中学では漢字能力をぐんと発揮する生徒がふえています。

ぼくの考えでは、六年生が、小学一年や二年に配当されている漢字を勉強しても、ちっとも恥ずかしいことでもないし、小学生が生活や読書体験のなかで中学校配当の常用漢字を読めるようになっていても、それはそれで結構なことだと思います。

おもしろい、と思えば、それはいつ覚えても、身につけてもいいのではないでしょうか。

要は子どもが興味をもったり、学ぶ元気がわいたりすれば、それはすべて、その子にとっての"学び"であり"勉強"だと思うのです。

教える側は、ただ、そういう子どもの欲求にそうべく柔らかく対応していれば、十分に指導しているといえると思うのです。

まさにその通りだと思います。

興味深い取り組み 5

教科書では"二年単元としての関数・グラフ"だけしか出てきません。

つまり、中一で習った関数も、中三で教わるであろうグラフも、そこにはのっていません。

しかし、ぼくのところでは、中一→中三の内容をとりあげますし、ときには高校でしか習わない関数について指導することもあります。

つまり、学年ブチぬき・教科書ワク飛びだしの指導ということになります。

小学生の国語の漢字学習もそうです。

教科書では各学年によって、教える学年配当漢字が決められています。

小学用と中学用も常用漢字内で区別されています。

でも、ぼくの塾では区別なしにやります。

人は、だれでも自分の生活や好みによって、いつ、どの漢字を、どれくらい読めたり書けたりできるようになってもいい―と考えるからです。

小学生は何年生に関係なく、常用漢字全般にわたって勉強しています。


これはなんだかヤル気が出てきそうですよね。役に立ちますし。

興味深い取り組み 4

無学年制を実施するさいのもう一つの条件は、教える側が、つまり、こちらが〈遅れている子は質の悪い子〉という考え方をもっていてはうまくいかない、ということです。

要するに、学校勉強の進度の早遅で、子どもを上下に差別視しない、ということ。

こちらが、進んでいる子はいい子、遅れている子は悪い子と考えていれば、子どもたちにもその意識は伝わります。

そうなれば、この制度はメチャメチャになります。

結局は、この制度の成否のかぎは、こちら側の意識の問題といえそうです。

"無学年制"の意味と方法はもう一つあります。

それは、たとえば、〈中学二年生には、中二のことを教えなければならない〉という通念から、教える側がハズレることです。

言いかえれば、教科書やカリキュラムのワクを取りはらって教える、ということです。

ぼくの塾での例を二つあげてみます。

たとえば、中二で"関数とグラフ"を整るとします。

これは、あえて塾だからできることなのかもしれませんね。

古来から伝わる習俗行事と占い


野崎詣りで有名な大阪府北河内郡四条村野崎(現在、大東市に入る)の慈眼寺、この寺での毎年春秋二季の法要を野崎詣りと称して、大阪方面からの参詣者が殺到します。


その途中で、川舟で来るものと堤上を歩いて来るものとが、たがいに悪罵し合う習慣のあったことは大阪落語にも残っている通りで・・・


むろん自然的にそうなりやすい群衆心理は見逃がせないにしても、ことに春の法要のほうは昔の春分祭りの解放的行事に関連があったような気がします。


モーリスの『インディアン古事記』などにも、インディアンにとって4月1日は春分の祭り日であると、はっきり書いてあるのです。


・・・要するに、春分をことほぐ原始の遺風は、東西を通じて暗合的な習俗行事であったに違いありません。


このような話が気になるという方は、電話占いのランキングもチェック!

興味深い取り組み 3

とはいっても、当の子どもにもその親にも、学校での学年、カリキュラム、"学校学力"、評価などに対する絶対なる信仰が根強くはりついています。

なかなか一朝一夕にはこちらの思うようなフランクな気持ちにはなってくれません。

ぼくの塾の場合、この制度がまがりなりにも軌道に乗るのに、三年ちかくかかりました。

上にスライドするほうは初年度からわりと希望者が出てスムーズにいったのですが、その逆のほうは最初、抵抗が大きかったようです。

でも、一人、二人、三人と、すこしずつ勇気をだして出てくる子がふえるにつれて、〈下の学年にも出るとよくわかる〉ということをすこしずつ理解してくれたようです。

出ている子も、あまり抵抗を感じなくなり、下の学年の子と仲よくなったりして、いまではどちらも抵抗なく定着しつつあります。


たしかに、最初はちょっと抵抗がありそうですよね。

興味深い取り組み 2

また逆に、中一だけど中二の勉強してみたいという子には、それもOKです。

ちなみに、いま中二のクラスには中一の生徒のほかに、高校中退者や、小学五年のとき一年間、登校拒否をしていた六年生の子もまじって勉強しています。

つまり、年齢は五歳ぐらいにまたがっているというわけです。

ただし、この"無学年方式"をスムーズに実施するには、いくつかの条件が必要です。

一つには、当該学年から下の学年のクラスに出る子が〈恥ずかしい〉とか〈いやだ〉とか感じていないことが第一条件です。

逆に、学年の低い子が上のクラスに出る場合も同様です。

〈ぼくは頭がよくて、進んでいる〉〈学校の勉強なんてレベルが低くてやっていられるか〉などと、傲慢な気持ちになっているのではけっしてうまくいきません。

さきのことをやろうが、まえのことをやろうが、人間のよしあしのレベルとは関係ない。

わかっておもしろければ、それが自分にとっての勉強なんだ―と考えて、ほかのクラスに出るのなら意味があります。


あえて学年を取っ払っていることで勉強する楽しみが出てきそうですね。

腹八分目で健康

ところで「腹八分目」ですが、これは、いうまでもなく食べすぎ防止のためです。

しかし、頭ではわかっていても実行が難しい。

ですから「毎食腹八分目に」というのではなく、「3日間で調整すればよい」と考えてください。

つまりお腹一杯(腹十二分目)食べたときは、次の食事、あるいはその次の食事で腹六分目なり腹四分目にして、3日間の平均が腹八分目になればよいというふうに。

もちろん体重も、少なくとも3日に1回は計って、食べる量も加減します。

ただし、食生活が乱れると栄養も乱れますから、そのときはサプリメントやモリンガなどを利用するのもいい方法です。

「腹八分目」の次の「野菜たっぷり」ですが、生活習慣病の予防を目的とした国民健康づくり運動一健康日本21」(厚生労働省)では目標値を成人1人当たり350g/日以上(うち緑黄色野菜120g/日以上)としています。

興味深い取り組み

なかなか人が思いつかない面白い取り組みをしているものを紹介します。


学校では一度通過した学年のことは二度と教えて貰えない仕組みになっています。

逆に、上の学年の教室へモグリこんでさきの学習をすることも許されません。

ところがぼくの塾では、この"学年のワク"を意識的にハズして、ことしで四年目になります。

いわゆる"無学年制"です。

たとえば、中学二年生で、中一の"正負の計算"や基礎的な"文字式"の運用などが定着していない子がいます。

そういう生徒の場合、中二のクラスに出ていながら、プラス中一の数学の時間にも出る、という方法もありますし、中二は出ないで中一だけ出る、という方法もあります。

もちろん"正負の計算"や"文字式"だけ補習したら、中一のクラスからハズレて、中二にもどることも可能です。

どのクラス、どの学年、どの教科、どの単元のときに出るか、すべて自由です。

それは本人の意思で決めればいいわけですが、こちらからも「キミ、いま中一で"正負"やるところだけど、出てみないか」というように声をかけたり、アドバイスしたりもします。